「西川貴教のオールナイトニッポン」という名の列車

だいぶ日にちが経ってしまいましたけど、改めてこの場で振り返らせていただきます。

「悔しい。」


今の気持ちを素直に言うと、この言葉に尽きます。
8年9ヶ月という長い期間に渡って続いてきた、「西川貴教のオールナイトニッポン」が幕を閉じた。
終了が正式に発表されてから数週間、色んな事を考えた。
なぜ番組が終わることになったのか、本当の理由は分からない。
西川さん本人の意向でないのであれば、西川さん本人だって結局真相を分からないまま終わっていったのだろう。
でも、何かしら理由はあるはず。
色んなところで憶測は飛び交っている。番組のマンネリ化だとか、長くやり過ぎただとか…
だからといって、それが分かったとしても、番組の終了を止める事は出来ないし、リスナーはそれをただ単に受け止めるしかない。
自分は割りとあっさりと受け入れられたほうかもしれない。
でも、心の中に何かわだかまりがあったのは確かだった。
受け入れはしたけど、何か腑に落ちない。
今まで数多くの番組が終了するところをこの耳で聴いてきたし、あるいは終了の場に直接立ち会ったりしてきたが、この番組が終了する事実は、何か他とは違う。
8年9ヶ月の歴史の中で、自分がこの番組に立ち会ったのは、わずか3年弱に過ぎない。
正直、本格的に聴き始めたのは、月曜1時台に移ってきてからだ。
3分の1にも満ちていないけど、やはり何か違う。
この番組に関しては、何か特別な想いというものがずっとあった。
だから、終了を聴かされてから悲しみというものは全く無かった。
セミファイナルが放送されるまで…

先週のセミファイナルの放送では、全てのハガキコーナーがラストという事で、おそらく全ハガキ職人、気合を入れて投稿したと思う。
自分も、最後くらい本腰いれてやってやろうという意気込みから、出来る限りハガキを書いた。
最終的に、全コーナー宛に計12枚のハガキを送った。
でも、1つも読まれなかった。
正直、「悔しい」と思った。
自分のネタが読まれなかったことに悔しかったわけではない。
読まれなくて当然だと思った。
前にも書いたように、ダメ人間日記や貴重なご意見で読まれていたのは、ほとんどこの番組に関すること。
読まれたハガキには、職人達を含め、リスナー達全ての想いが詰め込まれていた。
でも、自分はその想いというものをハガキに書いて送ることが出来なかった。
少しでも笑いに持って行ってやろうという考えしかなかった。
普通はそれが正しいのかもしれない。
ハガキで人を笑わせる、それはオールナイトのハガキコーナーの宿命といってもいいだろう。
でも、笑いだけがリスナーの総意じゃなない。
「感謝」という気持ちを忘れていた。
もっと前に、投稿というものに出会っていれば、何も考える事無く、「感謝」の気持ちを素直にかけていたかもしれない。
でも、自分にはそれが出来なかった。
凄く悔しかった。。。

だから、当たり前だけど自分はこの番組のハガキ職人でもなければ、投稿者でもない。もしかしたら、リスナーとしてもダメかもしれない。
終わるということに一喜一憂してしまい、最後に読まれたい、少しでもこの番組にvestigeを残したい、その気持ちだけが先走ってしまい、一番肝心なことを忘れてしまっていた。
それを思い出させてくれたのが、先週の放送だった。
リスナー失格だよね。。。
投稿することって、単に考える力だけではやっていけない。考えて、その先にあるものを感じ取らなくちゃいけないんだよね。
それが自分には出来なかった。。ホントダメだよ。自分…
それが出来るこの番組の投稿者さん達は本当に凄いと思う。

そういうことが自分の中であった先週、色んな気持ちが交錯していた。
だから正直な話、最終回の日に、有楽町に行こうかどうか、ギリギリまで迷ってた。
イマジン坂観覧に当たったら、素直に行くことが出来たかもしれない。
でも、結局は落選した。
落選した人間が、のうのうと有楽町に足を運んで、邪魔じゃないだろうか?
迷惑じゃないだろうか?
それに、最終回の当日は、夜の9時までバイトやってたし、翌日は朝から普通に大学の授業があるから、もし行くとなれば相当なリスクがある。
自分みたいな人間が行ってもいいのだろうか?あの空間に自分の居場所があるのだろうか?
最後の最後まで悩んだ。


悩んだ挙句、行くことにした。。。


何故そういう決断に至ったか、やはりそれは、西川さんへの感謝の気持ちからである。
ハガキでは成す事が出来なかった感謝の気持ち。それを少しでも近くで、たとえ会えなくてもいい、同じ感謝の気持ちを持っている人たちと共有して伝えたかった。
ただそれだけだった。

まともに聴いていたのは3年にも満たないけど、期間なんて関係ない。長かろうと短かろうと、1秒でも“楽しい”という気持ちにさせてくれたこの番組への感謝の気持ちを行動で伝えたかったから。それが理由です。


正直、あの場に何人の人が集まったのか分かりません。
イマジン坂スタジオへの観覧の人が大前提なので、少なくとも300人はいたでしょう。
さらに、自分と同じ心境で有楽町に集まった人たちも居たでしょうから、延べ人数で4〜500人といったところでしょうか。
当日のレポと言いたいところですが、正直自分は観覧をしたわけでもないし、あの場の雰囲気はあの場に居た人しか分からないと思うし、文字では表しようが無いので、詳しくは書けません。(「書きません」じゃなく「書けません」)
実際に観覧をした職人さん達のレポを見たほうが、より臨場感が伝わってくるかもしれません。
シーブックさん(id:nsbtakenori)とか、ムカイさんとか、ジゴロさん(id:jigoro)とか。
一応あの場に居た人間として、感じたことを出来る限りは書きますけど、うろ覚えなのであまり期待しないで下さい。
あえて言うのであれば、TMさんファンらしき方々は、曲が流れるごとに、「うわっ、最悪〜」って、いかにも泣かせる選曲するなー的な反応をしていたのだけは鮮明に覚えています。
起きぬけの電話が繋がるたびに拍手、本間さん宅レイブがあればこぞって拍手。
あまり最終回って雰囲気じゃなく、和気藹々とみんな聴いてた印象です。
途中までは・・・


番組が進むにつれて、ハガキ職人さんが書いたメールが読まれる。
その中には、ムカイさんのメールもありました。
彼のメールが読まれている間、周りのリスナーは、皆シーンとして、ラジオに聴き入っていました。
西川さんが涙をこらえながらメールを読めば、周りのリスナーからもすすり泣きの声がちらほら。
そして、当のムカイさんのほうをチラッと見ると、崩れこんで涙を流していました。

正直、悔しかったです。
おそらく彼は、読まれて嬉しかったのではないでしょう。
このメールが読まれると同時に、自分の青春が一つ終わってしまうという悲しみに満ち溢れての涙だったのでしょう。
何故、この事実が、自分にとって悔しい事なのか?・・




この場を借りて、面識も無い、話した事も無い、1人のハガキ職人に向けて語りかけます。。。
ムカイさん(id:mukai0809)、あなたは本当に幸せ者だと思います。
自分のブログでたくさんの人に励まされ、感謝され。
同い年として、私はあなたを尊敬しています。
そして、数多く居るラジオのハガキ職人の中で、私はあなたが一番のハガキ職人だと思っています。
リスペクトです。
RESPECT the POWER OF LOVE*1です。
でも、それと同時に、「悔しい」という思いがあります。
嫉妬とはまた違う、同年代のあなたがこんなにも一つの番組を愛することが出来たのに、自分にそれが出来なかったことを。
そして、番組に出会うのが遅かったということを。

たいていの番組って、「ハガキ職人=ライバル同士」って印象だけど、この番組だけは違った。
ハガキ職人=仲間。」
この構図が番組を支えた大きな要因だと思う。
正直、羨ましかった。。
あの仲間に自分も入りたかった。
一緒にワイワイやりたかったというわけとはまた違う。
ハガキを通して番組を愛したかった。
あなたをはじめとした多くのリスナー達は、ハガキを通して番組を愛せていた。
ハガキを通して数多くの仲間が仲間を呼び、また仲間を呼び、それが大きな輪となって8年9ヶ月間、この番組を支えていった。
自分もその輪の一角として存在したかった。職人とかじゃなく、一角の輪として・・
悔しいです。
ハガキを送っても数枚しか読まれないのは、自分に力が無いから、そんな事は分かってます。
努力が足りなかったから、重々承知してます。
だからそんな自分が悔しいんです。
あなたの文才には、頭が上がりません。
この数週間、あなたが番組に送ったハガキ、メールでたくさん勉強させていただきました。
あなたがメールの中で言っていた夢は、自分の夢でもあります。
自分も、ラジオを作る側から聴いている人らに光を与えてやりたいとずっと前から思ってました。西川ANNのようなラジオを作って、たくさんの人を幸せにしてやりたい。
20歳を目前にした今、本気でラジオに関わる仕事をしてやろうと思ってます。

今回味わった色んな悔しさをばねに、これから私はあなたのようなハガキ職人を目標として、頑張っていこうと思います。
いつか、同じステージに立てることを夢見て・・・





元に戻ります。

最後の西川さんからの手紙を読み始めたとき、自分はラジオの原点に帰って、誰も居ない場所に移動して、一人っきりで聴きました。
西川貴教のANNという車の前に赤信号が灯った・・・
・8年9ヶ月という長い間ではあるけど、日にち換算すると、僅か37日。
・「ざまぁーみろ!」
この3つの言葉が凄く胸に響きました。
どんなに愛される番組であっても、道は自分だけのものではない、オールナイトニッポンという道は、西川貴教のものだけではない。
40年近い歴史は、そういう世代交代があるからこそ、今でも深夜番組の代名詞として語り継がれているのだと思う。
どんなに長い道でも、いつかは赤信号につかまる。青信号だけで突き進むということは、不可能に近い。
でも、青から赤に変わったということは、赤から青に変わることもありえる。
赤信号で止まり続けたら、道が詰まって循環が悪くなってしまう。
「赤信号が再び青信号に変わることを信じて・・・」
青信号の間に学んだ、ラジオというものの素晴らしさ、それを知らない、知ろうともしない奴らに対する人に、「ざまぁーみろ!」
西川さんらしい言葉だったと思います。
本当に辞めたくないという気持ちがあるんだなぁと感じました。
10分弱、涙ながらに必死に語った西川さんの気持ちがすべてこれに詰まっていると思います。


最後のルーシーが流れてきて、西川さんが最後の挨拶をしたところで、どこからともなく拍手が起こりました。
もちろん、自分も拍手しました。
たくさんの感謝の気持ちを込めて・・・

放送が終わり、午前4時ごろ、残ったリスナーで西川さんの見送りも大々的に行い、全てが終わりました。
率直に、空虚感いっぱいです。



改めて、自分にとってこの番組は一体なんだったのか?考えました。
たとえ自分が番組に何も貢献することが出来なかった、自分から何かこの番組に与えるということができなかったとしても、番組から与えられたものは計り知れないほど数多くあります。
自分をラジオ好きにさせてくれた、ラジオという媒体が如何に大切なものか、そして何より、ラジオを愛するということを教えてくれました。
どんなにダメ人間だろうと前に進める。
要らない人間なんてこの世にひとりもいない、人生というものを教えてくれました。
ここまで言ったらちょっと大袈裟に聞こえるかもしれないけど、それこそ、数字なんかじゃ比較することは出来ない、何か大きなものをこの番組からもらった気がします。
西川貴教という人間に出会えたこと、この番組に出会えたこと、全てが自分にとって財産です。
自分はちっぽけなリスナーでしたけど、この番組が大好きでした。
西川貴教が大好きでした。
この番組が終わってしまった事、これが一番の悔しさかもしれません。
志半ばでのお別れとなってしまいましたが、いつかまたきっと会えると信じています。
西川貴教のオールナイトニッポン」という車の信号が青に変わる日が来ることを信じています。





以上が、今思う全てです。
4日間、これをまとめるためにかなりの時間を費やしました。
レポート用紙約6枚に渡ってます(笑)
ぐだぐだです。
まとまりがないので読みにくいかもしれません。
推敲なんてしてません。
今、思うことをそのまま書きました。
もうこれ以上何もありません。
嘘偽りは一つもありません。
感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとう、西川貴教のオールナイトニッポン
またいつか、青信号になったら夢の続きを見させてください。





長々と書き連ねましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。
最後に・・・
いつまで悔やんでたって仕方ないです。
過ぎてしまった過去はもう元に戻せません。
今回悔しいと思った分、これからのラジオ人生で、倍、いやそれ以上の糧にしていこうと思います。
自分のラジオ愛はこんなもんじゃない。俺の、「ラジオという名の列車の旅」の終着駅はもっと先です。
途中下車なんてしたくないです。
まだまだ突き進みます。
覚悟しとけよー!!


おわり。





PS.西川さん見送りを大々的に行った後、大挙して有楽町駅に誘導されるリスナーの波を掻い潜って、こっそりと地下鉄駅側からニッポン放送の玄関を見てみたら、お隣にある丸の内警察署の方にこっぴどく怒られているスタッフさん(多分三宅さんかな?)を発見したのは、おそらく私だけでしょう。

*1:アムロちゃんの名曲