無口な祖父の想いが父へと年をまたぎ…

この間12月17日、じいさんが亡くなりました。
個々最近、メルマガを休んだり日記を放置していたのはその為です。
実は、前々から体調が良くなくて入院していたのですが、15日の朝、大学へ行こうとしていた時、お母さんから、じいさんの容態がかなり悪く、今日を乗り越えられるかどうか分からないから帰って来いって言われて、電車を引き返して実家の茨城に帰ったんです。

お昼頃つくばに着いて、その足で病院へ。
その日は何とか無事に越す事が出来たのですが、昏睡状態に陥ってしまい、いつ何が
起こってもおかしくない状態だったので翌日も病院へ行きました。
それで、土曜日の明け方4時頃、じいさんは天国へと旅立っていきました。
時間が時間だっただけに、自分は最期を看取る事は出来ませんでした。
最期を看取ったのは、じいさんの子供達。つまり、うちのお父さん兄弟。
うちら家族はじいさんとは一緒に住んでなかったけど、小さい頃から色々と思うとこ
ろがあって・・・

今だから言えることだけど、はっきりいってうちら家族(母、姉、自分)は、じいさ
んを好きではありませんでした。
むしろ、嫌いでした。憎んでいました。
なんてったって、うちら家族をボロボロにした張本人だから。
こんな事、こういうところで言うべきじゃないのかもしれないけど、へたしたらじい
さんの手によって、いま自分達家族はここに存在してなかったかもしれない。。。
生きていなかったかもしれない。
その話を聞いて以来、凄く憤りを感じ憎みました。

そんな色々な経緯があって、あの家を出て行き、家族4人で暮らして十数年。。。
じいさんが意識のある頃最後に会ったのは、今月の初め。
じいさんが入院して、酸素マスクをしている姿を見ると、何とも言えない気分でし
た。
何年か前から言葉に難があったので喋る事は出来なかったのですけど、もう夜も遅いからって帰ろうとした時、首を振って帰らないでと訴えてた姿、お父さんの手を握って涙を流す姿、何だか凄くこみ上げてきてしまいました。
お父さんの手を握ってるのを見た時、「全てが終わるんだ…」という気持ちになりました。

それからわずか半月で旅立っていくとは…
あれがうちら家族に対する最後のメッセージだったんだなと思うんです。
今さら謝ってももう遅い…うちらにしてきた事は、計り知れない事だから…
でも、もういいんです。
確かに憎い人だけど、お父さんにとっては、生みの親であり、育ての親なんだから、感謝しないと。
あのじいさんが居たからお父さんが生まれ、そして自分が生まれた…
人生って、不思議なめぐり合わせだなぁと思いました。


なんか、上手く言葉、文章では言い表せないけど、遺体をじいさんの家に運ぶ車内で、そう思いました。



それで、もろもろあって月曜日にお葬式が行われました。
その準備やらで、久々に顔を合わせた親戚やいとこ達。
ホント、こういう機会が無いと会わないなぁとつくづく思いました。
いとこ5人が顔を揃えたのって、何年振りなんだろう?
不思議と、会話が無いんですよね…
普通、久々に会ったら何か会話を交わすんでしょうけど、元々おとなしい人たちですから、これといった会話ってしないんですよ。
最後のほうになったら、個々で話をするようにはなりましたけど…
何なんだろうなぁ、この不思議な関係は。

また年明けに実家に帰りますけど、どんな感じで会うのかな?